高瀬舟は、京都の高瀬川を上り下りする小さい舟です。徳川時代、京都の罪人が遠い島へ流されることになると、この舟に乗せられて、大阪へ送られました。罪人を送るのは、京都町奉行の下で働く同心という役人です。舟の中では、罪人とその親類が、夜通し悲しい身の上話をするのがふつうでした。
ある春の夕べ、知恩院の桜が散るころに、めずらしい罪人が高瀬舟に乗せられました。名前は喜助、三十歳ばかりの男です。親類はだれもいないので、喜助は一人で舟に乗りました。送るのは、羽田庄兵衛という同心でした。
庄兵衛は、喜助が弟を殺した罪人だと聞いていました。でも、舟に乗った喜助の顔は、とても楽しそうでした。悲しんだり、泣いたりする様子は少しもありません。庄兵衛は不思議に思って、ついに「喜助、お前は何を思っているのか」と聞きました。
喜助は答えました。「島へ行くのは、ほかの人にはつらいことでしょう。でも、わたしは今まで、どこにも落ち着く所がありませんでした。お上は島にいろと言ってくださいます。それに、二百文のお金もいただきました。わたしは今まで、お金をふところに入れて持っていたことがありません。働いてもらったお金は、いつも右から左へ人に渡してしまいました。この二百文は、初めて自分の持っているお金なのです」。